くらし支える相談センターは、この6月でまる8年になります。開設当初は各種マスコミにも取り上げられ、毎月数十件の相談に四苦八苦することもありましたが、その後、10数件程度となり、最近は一桁台になることもあります。
相談員体制は、当初、複数体制を組み、会員の交流の場としての位置づけもありましたが、ここ数年は6人程度でまわしています。
相談者の最近の傾向のひとつに、「無料ですか。時間に制限ないですか。○○の相談をしたいですが、どうしたらよいでしょうか」などの相談が増えています。相談センターの成り立ちを話し、培ってきた公的機関や各種団体とのネットワークを生かし、相談者が安心して目星が付けられるように相談先を案内しています。
相談の糸口を見つけるためネットで検索し、「くらし支える相談センター」が目に留まり、少々不安を感じながらも、そっと電話をかける、そんな人々の助けになっているようです。いわば、「くらし支える相談センターは、相談の交差点」、こうしたことも、ホウネットの意図するところではないでしょうか。
名古屋市内に住む息子さんから、県内のK市に住む父親(57歳)が、病気で失職したため、生活保護の受給申請を行ったが、自家用車所持のため、認められなかった。どうすれば生活保護を受給できるかと相談がありました。K市は遠方のため、K市の共産党市会議員に協力依頼をしてもいいかと意思確認を行い、同意が得られたので、K市の市会議員に市役所へ同行してもらい、自家用車所持は3か月猶予することを条件に生活保護申請が受理されました。
その後、本人と息子さんから交互に、病気回復後の仕事探しのことや、交通の便などで息子が住む名古屋市への転居希望の相談があり、同区の共産党市議生活相談所を紹介しました。この間、相談開始からほぼ1週間、5回の電話相談を受けました。
相談センターは、事務所とホウネットの共同運営ということもあり、法律に関わる相談も多く寄せられています。そうした相談は、法律事務所で直接、受け付けているのですが、いきなり法律事務所に相談の連絡をすることについて、敷居が高いと思われている方も、まだまだ多いためでしょう。あるいは、自分の相談が法律相談にあたるかどうか、迷ってしまうという方も多いと思います。先日、私も相談センターに電話相談された方の離婚相談を担当しました。夫婦の財産として、住宅ローンの残っている自宅があり、法的なアドバイスが必要な方でした。相談センターでは、離婚や相続、労働など暮らしにまつわる法律相談も多く寄せられていますが、法的なアドバイスが必要だと判断した場合には、法律事務所と連携しながら対応しています。
相談センターはまもなく開設7周年を迎え、相談件数は800件をこえています。最近は、ホウネット会員や地域の団体の方などの紹介の相談が多くなっています。
弁護士 加藤悠史
今年3月初め、年金8万5千円と2万5千円の生活保護を受けている70代男性から、高齢者向けの低家賃の住宅に入りたいと電話がありました。3月下旬に面談してみると、市営住宅入居の抽選、当選するには難しいのではとの悩みでした。その場では、諦めず何回も続ければ当たる仕組みになっていると励ましました。
4月に入り、住宅問題で区の対応が悪い、福祉会館の利用方法を知りたいとの電話。住宅問題では市営住宅の抽選に集中すること、福祉会館の利用はいきいき支援センターに相談することを伝えました。その後、福祉会館の風呂が利用できて助かっているとのお礼の電話。5月半ば、2回目の抽選もだめだったが、追加抽選で当たった。戸籍を取り寄せているが、まだ届かないので不安だとの電話。遠方だから遅れているだけ、安心して待つようにと話しました。10日後、戸籍も届き、入居先も見学、気に入ったとの電話。以後、電話は途絶えました。
合計で7回の相談でしたが、いずれも相談解決は本人自身の力でした。誰かに聞いてもらい、確かめてもらいたいとの思いから、気軽に電話をしてきたようです。これも相談センターの役割の一つのようです。
年末の12月28日、年も押し迫って終わろうかという時、電話が鳴りました。
「いま名古屋駅にいる。食事の支援を受けたい。越冬隊の場所を教えてほしい」。声からして20~30代の青年の声。どうやら、遠方から名古屋駅に着いたものの、土地に不慣れで戸惑っている様子でした。
いったん電話を切り、最寄り駅に着いたところで再度電話をもらうことに。資料を見ながらナビゲートして相談者が目的地の目星がついたところで受話器を下ろしました。
恒例の年末年始の野宿者支援の『名古屋越冬実行委員会』はこの日の夕方から1月3日朝まで炊き出し、衣料配布、健康相談などを実施しています。事情は分かりませんが、情報を聞きつけ、名古屋にまで来て年末年始を過ごす若者がいることに心が痛みました。
(相談員 Mさん)
2011年7月1日に開設した相談センターは開設5周年を迎え、相談件数は800件をこえています。「生活保護」の相談が一番多く17%を占め、その次は「医療・介護」が8.6%、「相続」が7%となります。格差・貧困社会が進行し、社会が複雑化、相談センターの役割は重要です。
生活保護受給中の定時制高校に通う女子学生から相談がありました。メンタル疾患を抱え働けない母親との2人暮らし、生活保護費と自分のアルバイトの収入で生活している。ところが、アルバイトの収入増を理由に、高校就学支援費がなくなり、生活保護費が大幅に減額され、とても生活ができない状態に。
アルバイトについての収入申請が不十分であっても、生活ができないような状態になることは、担当課の処理に不十分さがあるかもしれない。本人の了解を得て、地域の市会議員の同行をお願いしました。
(相談員Iさん)
生活保護費から、利用料や食費、光熱費、管理運営費など85,800円が天引きされ、3万円弱しか手にできないという、まさしく貧困ビジネスのアパートに居住する60代の男性の相談。男性は、福島原発事故の除染作業員でしたが、脳梗塞で入院、退院後名古屋へ転地してきました。
ほとんど歯がないため、施設提供の給食が食べられず、自費で貧しい食事、体も衰弱、治療を要する状態になっていました。
相談員は、地域の弁護士の協力を得て、区役所の保護課に同行。男性には放射線の影響も考えられるため、被爆者医療にも携わる別の区の医師に相談、通院の了解、同区への転居を含め、保護課との合意が得られました。
ところが、後日保護課の担当者が、アパート退去不承認を伝えたことから、いさかいとなり、男性は警察に逮捕、拘留。しかし、弁護士の努力により起訴猶予で釈放。男性は、現在入院中、退院後の住まいを生活困窮者の住宅支援事業者に住居探しをお願いしています。決まれば治療中の区で生活保護の手続きが進められることになっています。
相談員Fさん
大阪市在住の男性から、相談センターのホームページを見て相談がありました。
男性は62才、精神疾患で働けず生活保護を受給、最近中国人女性と結婚した。妻はパートで働き、多少の収入はあるが、2人はおろか、妻自身の生活費にも至らない。外国籍でも生活保護が受けられるか、自分の生活保護はどうなるか、事前に話を聞いてから役所に相談に行きたいとのことでした。
専門相談員からの、①生活保護は外国人も含め、18歳以上で生活に困窮していれば申請できる、②具体的には、まず夫の生活保護の停止措置をとり、あらためて夫婦2人の最低生活費を算定すれば、妻のパート収入を減額して支給される、とのアドバイスを相談者に伝えたところ、相談者からは「これで安心して生活保護の窓口に行ける。ありがとうございます」の言葉が返ってきました。
事例1(2012年2月)
60代半ばの男性が相談センター掲載の新聞記事を持って、相談センターを訪れる。長らく同棲していた女性が突然死。女性の子供夫婦が親の公団賃貸名義を破棄した結果、男性が外出して帰ると家財が廃棄処分され、住む場所を失う。一時友人宅に身をよせるが、無宿者となり、切羽詰まったところでの相談。役所の時限が迫っていたことから、弁護士、相談員が同行、生活保護係の機敏な対応で男性は市の男子寮に入ることになった。
事例2(2012年11月)
市民税滞納で20代前半の夫婦が相談センターを来所。妻は妊娠10か月、夫は今春大学卒、正規雇用をめざしコンビニでアルバイト、月10数万の収入しかなく、市民税を3か月滞納。折しも夫は大企業の採用試験に合格、試用研修が始まる。滞納の影響を心配して区役所に相談に行ったところ、滞納解決だけを言われ、途方に暮れての相談。対応した相談員は、区役所の案内は不十分、市の税務課がセンター化され、市税収納事務センターに、そこへ行って分割払いを願い出れば解決する筈、若いから一つ一つ経験を積むことも大切、気後れしないため、この足でセンター行きを勧める。二人はセンターに向かった。
事例3(2013年3月)
公団家賃滞納で裁判所から退去命令を受けている70代の女性、元デザイナーで住まいを事務所にもう一度一肌上げたい、公団に居たい、何とかならないかの相談。女性は生活保護受給者、息子の住居費援助が途絶え、家賃滞納となった。滞納一掃の見通しがないことから、住宅探しの姿勢を示し、強制退去にならないよう促す。当初は相談員の服装をさげすむなど、話を聞き入れようとしなかった。しかし話し合いができる場所と思ったのか、再三訪れ、やがて市営住宅の申し込みに行ったなどと話すようになった。退去期日直前、相談センター紹介者の民生委員の方から生保家賃補助に見合った民間アパートを自ら探し、転居したとの報告があった。
事例4(2013年11月)
息子が妻帯者でありながら他の女性と婚約、それが女性の父親に発覚、法外な慰謝料請求、不履行ならやくざに頼むと脅されていると、息子の母親から弁護士依頼の相談。弁護士依頼の件は名古屋北法律弁護士が対応することで決着したが、息子が父親の叱責で行方をくらましたと、再び母親から捜索の相談。相談対応のなかで、親子精神的に参っている、メンタルケアーの申し出もあり、この機会を生かし息子をおびき寄せることとなった。メンタルケアーは登録相談員の専門家に依頼、はからずも親子が相談センターに集結。しかしケアー後妻が来所、息子夫婦が喧嘩別れ、再度息子が雲がくれした。年末年始の時期、母親から息子の行方をつかむ相談があり、銀行振り込みをぎりぎりの生活費とすることをアドバイス。結果年が明けて、息子が妻の元に帰る。息子も肝に銘じたろう、この機会を生かし息子夫婦と解決方法をじっくり話し合うと、母親から電話があった。
事例5(2014年4月)
生活保護受給の父親から、自分が精神障害者のため児童相談所で育った息子が、高卒、就職1年で退職、退寮を迫られ、区に息子の生活保護申請を行ったところ、父子同居を条件に拒否されたとの相談。相談センターで2度ほど面談、生活保護申請の手だてでアドバイス、しかし申請拒否が繰り返された。相談員は、他区での申請を提案、親子が了承、専門相談協力員の困窮者住宅支援業者に支援を依頼。同支援業者が、他区で良心的な大家さんを見つけ、親子に会わせ、息子の住まいを確定、同区での生活保護受給手続きも支援。後日息子さんから、ハローワークで仕事探しをしているとの報告があった。
事例6(2015年2月)
50代女性から、うつ病で障害年金受給申請却下、あらためて化学物質過敏症で申請したい、申請書類を事前に見てほしいとの相談。相談者に関係書類を持参してもらい、年金に詳しい相談員が面談、申請書をチェック、シックハウス症候群で申請を勧める。3月、専門医に診断書、初診証明書の協力を得て年金機構に提出。ところが、提出書類に対して年金機構が検査のカルテの写し提出など枝葉末節の部分でチェック、これに医師が憤慨、逆にその主旨説明を年金機構に求めるなどの過程を経て、相談から5か月後障害年金が認定された。相談者は、生計のめどが立ったことを喜び、対応した相談員に報告とお礼を言いたいと当所を訪れた。
事例7(2015年3月)
5か月前に失業、借金700万円と車のローン200万円を抱え、車中泊4日目、最近まで母親と一緒だったが行方不明、手持ち金が1万7千円の52歳の男性の相談。対応した弁護士は、自己破産、生活保護申請の要ありと判断。生活保護申請に対して、相談者が車所持ということから、相談員が区役所に同行。案の定、窓口で車所有が問題となり、相談員の口添えで、その場で車を区役所に引き渡し、生活保護受給となった。当日はビジネスホテル券が発行され、宿を確保。翌日から簡易宿泊所に移行することとなった。
事例8(2015年11月)
当時在住の他区で生活保護を申請、いろいろ言われ、煩わしくなり申請を取り下げた。その後、他区に転居、やはり年金だけでは生活が苦しい、再び申請したいとの70代の男性の相談。転居先はちくさ事務所に近く、ちくさ世話人会関係の専門相談協力員に協力依頼。同相談員が本人と面談、状況把握のうえで区役所に同行。相談員が、生活保護課に対し、取り下げたときの要否判定が要であり、もっと親切に対応すべきであったと要望、申請が受理された。後日、本人から、実地調査を経て、生保受給が決定されたと連絡が入った。
事例9[2015年11月]
相談員が住む区で、かつて福島原発事故処理で働いていた生活保護受給の男性が、体調不良、歯もほとんどなく食べられないのに食費が引かれる、貧困ビジネスアパートから退去したいとのSOS。相談員が訪問、同区の法律事務所の弁護士の協力を得て、生活保護課と本人の要求で折衝。しかし担当ケースワーカーの対応のまずさもあって、本人が暴力沙汰を起こし、警察に留置される。弁護士、相談員が奔走、事件は解決。その後専門相談協力員の困窮者住宅支援事業者に支援依頼、同支援業者のはからいで他区での住まいが確保され、男子は生活保護受給継続と被ばく専門医の治療が受けられるようになった。
事例10(2016年2月)
50代の男性が看板を見て、相談センターに来所。前日、認知症の母が内側からドアーに鎖をかけ、入れなくなったことから家出を決意。寒さをしのぐため一晩中体を動かしていて疲れた、金がなく、ピーナツ数粒しか口に入れておらず、腹もすいたとのこと。話を聞く前に、学習支援用の煎餅などを提供、空腹の足しにしてもらう。相談は生活保護を受けたいとのこと。しかし聞けば、マンションの名義は母と本人、生活保護受給ができるかどうか。それよりもこのまま母を見放してよいかどうか。現時点でも出火など心配もある。冷静に考えるよう促す。しばらくの沈黙すえ、男性は立ち上がり、家に帰ると言って出て行った。翌日、家に入れたと本人から電話があった。